私は平成7年にUターンし実家で暮らしています。
久しぶりの実家は赤城山を背にし温かく迎えてくれました。
その実家の庭にはみかんの木がありました。
それは。庭の西側に2本あり少々のみかん実がついていてます。まだ小さく緑色をしてました。その冬、実は大きくなり黄色く色づきすっぱいながらも立派なみかんになりました。
あれから21年。みかんの木は立派な古木になり多くの実をならせ酸っぱさも甘さも濃く、毎日たっぷりのビタミンを与えてくれています。高齢の母にはミキサーで攪拌して、茶漉しでこして飲ませてます。喜んで「うまい、うまい」と言いながら飲み干してました。
剪定挟みとかごを持ってみかん狩りをします。10分もすればそのかごはみかんでいっぱいになります。どれも皆色も良く美味しそうです。すずめなど鳥たちも食べてます。うっかりすると食べた痕のついたみかんを気づかずにかごに入れてしまう事もあります。鳥たちは美味しいものから食べるようで「なかなかやるな」と思いながらも美味しいみかんを競争のようにして取りあってる毎日です。時には美味しそうなみかんでも鳥たちに残したりもします。
こんな事が楽しいです。
出かけるとき、帰宅したときにはなんとなくまず先にみかんの木に目が行きます。ずっと変わらず同じ所で同じ季節にたくさんの実をならせ、いじらしくもたくましくもあります。
私流のみかんの木の剪定はみかん狩りのときに枝ごと切り落としそれからみかんをひとつずつ切り離しかごに入れます。ついでに弱った部分や太陽光のあたり具合も考慮しますが最低限の剪定です。鳥たちや虫たちにも喜ばれる木でいて欲しく思います。もちろんみかんの木には健康でいて欲しいです。
自動車で外出して住宅街を走っているとみかんの木がある家は結構みられます。美味しそうに実ったみかんは誰も食べないのでしょうか。あんなに美味しそうに実らせてるのに。
背が低く間引きをされよく手入れされたみかんの木を見つけました。みかんは数えるほどしか実っていませんでした。でもその一つ一つは大きく夏みかんかグレープフルーツのようです。「これもいいな!」と思い毎日眺めてます。そのみかんの木を見るのも楽しみの一つとなっています。
今年中には私の家の庭のみかんはなくなるでしょう。昨年は通販で購入したりスーパーで買ってきたりしましたが今年はどうするか。酸っぱくても甘くてもそれぞれ好きです。以前には好きでも嫌いでもなかったみかんですがいつの間にかみかんが大好きになってました。家の庭にある2本のみかんの木のおかげかと。
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