ヘラ鮒釣りに熱中してた20代後半の出来事です。よく三島湖や三名湖など同行した釣友とは他の趣味も重なる事が多く話が合いました。釣り道具は立派なものを持っていました。道具ケースから浮き入れなど高額で本当にヘラ鮒釣りが好きなんだなあと思いました。所が魚が釣れたときに使用する「タモ」は釣り道具屋さんで500円程度で買えるお粗末なものを使用していました。私も同じです。
なぜか私はタモに使うネットは持っていました。ネットだけです。柄がないので使い物になりません。友人はふざけて「タモのネットはいい物を持っているけどつかってるタモはお粗末でんなあ」と冷やかしてくる事が多かったです。
私は「そのうちこのネットで作ってびっくりする様なタモを魅せびらかすどう」とふざけ半分に行ってました。
しかし、それから暫らくすると友人はお粗末なタモではなく高級そうなタモを使用してました。せっかくいい値段のタモを買ったようなので「いいのを買ったねえ。参った参った」と言いはしましたが心の中ではそうゆうんじゃないんだよなあと本当に思っていました。
私はタモ様のネットだけ持っていたのでそれに合う小枝のようなものを探していました。釣り場でとりあつらえたようなお粗末でいまにも壊れてしまうようなひやひやしながら使うものが作りたかったのです。でもいざ使ってみると自然によく馴染み魚にやさしいような使い易いものを目指していたのですがそうは理解してもらえず知人は高級なものを購入したのでした。
好みは皆自由でしょうし「ヘラ鮒釣りなんていうのは道具の見せ合いだ」と言う人もいます。高級な道具を購入しそれを使用して釣りをするのは本当に楽しいひと時でしょう。それは絶対否定しません。私のタモ用のネットはいまだに手付かずではありますが・・・・・・・
でも釣り場であつらえた様な不細工な小枝でヘラ鮒釣りを楽しみたかったのはいまだに実行できておらず残念で仕方がありません。
話は変わって骨董に興味を持っていた平成15年ごろの事ですがいつも行く買出し専門の骨董店で仕入れたばかりの鍔を見せていただきました。「甘龍」と言う柄で優しい表情の鍔でした。「欠けがあるから安くしとくよ」と言われ7000円で手に入れることが出来ました。
たまたま砥師をしている人が知り合いにおりその鍔を見てもらったところ欠けの部分の年代はその唾の年代のものである。「もしかしたら詫び錆びを意識してわざと欠けた鍔を使用してたのではないか」と言うのです。びっくりしました。そうゆうこともあるのかと。
それから詫び錆びをなんとなく意識するようになり全て揃ってるよりなんか足りないのがいいもんだと思ったり壊れかけてる物や足りない部品などある物もそのまま使う楽しさを味わったりしてるこの頃であります。
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